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<<   作成日時 : 2017/02/28 11:29   >>

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【蓮舫議員の二重国籍問題に関する情報のまとめ】
蓮舫議員が自身の二重国籍問題に対して曖昧な発言を繰り返し、問題をもみ消そうとしたために憶測と疑問を生み出している。戸籍謄本とパスポートを公開すれば国籍取得も国籍選択もはっきりするが、プライバシーを理由に拒否して、問題を見えづらくしている。自らの保身のために政治家としての重大な説明責任を回避したことになる。


蓮舫とはどのような人なのか
•台湾人の父と日本人の母をもち台湾人として生まれ、後に 日本国籍を取得した二重国籍者。

•家族・親族
蓮舫−(Lien-Fang、本名は村田 蓮舫(むらた れんほう)、民進党代表。
祖父−謝達淋(−1934年6月)、台湾白河鎮生まれ。
祖母−陳杏村(1910年−没年不明)、台湾台北市生まれ。
父−謝哲信(−1994年)、中国人の華僑、台湾バナナ輸入。
母−斉藤桂子、元資生堂美容部員、現在スナックを経営。
夫−村田信之、フリージャーナリスト、民主党員。
子供−双子の男女。
親戚−陳唐山(台湾の政治家)、台湾の民進党、イメージカラーは党章にも使われている緑。なお「緑」は、同党を指す用語としても使われている。


•祖母の陳杏村と日本の関わり
父方の祖母・陳杏村は戦前に国民党のスパイとして活動していた人物であり、戦後は日本の政財界を巻き込み数々の贈収賄事件を起こした。
中共と台湾の二重スパイであり日本の情報も流していたといわれます。

蓮舫の祖母陳杏村
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1910年、祖母の陳杏村が生まれたのは日本統治時代の台湾(1895年 - 1945年)。1926年に台北女子職業学校を卒業後、東京銀座服装裁式様学校に入学し、1935年に卒業後、台湾に帰って1935年にファッションデザイナーとして洋服店を開業。
上海が孤島時期と呼ばれた日本軍による上海占領の1937年11月12日から1941年12月8日の間、上海駐屯の日本軍高官と深い関係を築き、上海南洋煙草公司の総代理、英米煙草公司総経理など有利な地位を得て富をつかんだ。そして彼女の個人の名義で日本軍に、2機の戦闘機「杏村1号」、「杏村2号」を寄贈した。
終戦後、売国罪で起訴されるが、「陳杏村売国事件」は無罪の判決を受けた。大一貿易有限公司総経理、福光貿易株式会社社長、契徳燃料廠股份有限公司董事長、台湾区青果輸出業同業公会理事長を併任。

佐藤内閣時代の1966年11月1日第52回国会農林水産委員会第4号「バナナ等輸入果実その他に関する件」で、自由民主党の黒い霧事件として取りざたされた。その趣旨は、「日本バナナ輸入組合理事長砂田勝次郎氏を激励する会」の世話人が岸信介元首相、参加者が当時の川島正次郎自民党副総裁、赤城宗徳同政調会長をはじめ中村梅吉文相、中村寅太運輸相、清瀬一郎前衆院議長、田中伊三次同副議長、南条徳男、神田博、青木一男、増田盛、石田博英、松田竹千代、江崎真澄ほか自民党国会議員多数という事実を以て、台湾バナナ輸入に関して不正融資や贈収賄が疑われ、農林水産政策に関する調査が行われたというもの。


国籍に関する発言のまとめ
−1985年−
•蓮舫議員は1985(昭和60)年1月21日に「日本国籍を取得し、合わせて台湾籍の放棄を宣言した」と会見では言っているが、1967年生まれの蓮舫議員はこのとき17歳。台湾の国籍法(第十一条)によると、自己の意志で国籍を喪失できるのは“満20歳を迎えてから”と規定されている。だから、当時17歳の蓮舫議員が台湾籍を除籍することはできないはずなのだ。
・1985年(昭和60年)、17歳の時に出演したNTTのテレホンカードCMに登場
−1987年−
・ときどき中国人だったり、日本人だったりするんです (週刊宝石1987年9月18日号)
−1988年ー
・青山学院大学の在学中に1988年度クラリオンガールに選出されグラビアアイドルとして芸能界デビュー
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ー1992年ー
・19歳で帰化しました (朝日新聞夕刊1992年6月25日)
・赤いパスポート(日本のパスポート)になるのがいやで、寂しかった (朝日新聞夕刊1992年6月25日)
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・自分の中のアイデンティティーは「日本」とは違う (朝日新聞夕刊1992年6月25日)
父が台湾人、母が日本人。19歳のとき、兄弟の就職もあって日本に帰化した。東京で生まれ育った身にとって暮らしに変化はなかったけれど、「赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」。
父や母を通して触れた台湾、アジア。自分の中のアイデンティティーは「日本」とは違うと感じる。
家に帰ってルポや歴史物の本を読むのが好き。ゆくゆくは報道やドキュメンタリーの仕事がしたいという。
出典:芸能面 蓮舫 自分の中にアジアを感じる ゆくゆくは報道を
−1993年−
•1993年(平成5年)4月、テレビ朝日の報道番組『ステーションEYE』のメインキャスター(〜1995年10月)に抜擢されて以降、ジャーナリスト活動も活発となった。
バラエティ番組やワイドショーの司会を経て1993年頃より報道キャスターを務めるようになり、ジャーナリスト志向に。
1993年の25歳時に週刊現代で作曲家の三枝成彰との対談で「私は二重国籍なんです」と発言。
また同年にテレビ朝日のニュース番組「ステーションEYE」の新キャスターを紹介する朝日新聞の記事で「在日の中国国籍の者として、アジアからの視点にこだわりたい」と発言。
・私は二重国籍なんです (週刊現代1993年2月6日号)
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・在日の中国国籍の者として (朝日新聞夕刊1993年3月16日)
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−1994年−
・兄の就職をきっかけに、兄弟そろって帰化 (朝日新聞朝刊1994年2月8日)
蓮舫の舫というのは船のかじで、自分の力で人生のかじをとりなさいという願いが込められているそうです。小学校二年まで、私、「謝蓮舫」と漢字で書けなかったんです。習わない漢字だから。クラスのほかの子は全員、自分の名前を書ける。先生にすごく怒られました。「○○子」という普通の名前がすごくうらやましかった。コンプレックスが強みだと思えるようになったのは、中学の終わりぐらいから。日本に生まれても、私は台湾人の父の血を受け継いでいるんだ、という自覚が徐々に生まれました。
兄の就職をきっかけに、兄弟そろって帰化しました。苗字は母の姓にしたんですが、名前は蓮舫のままです。この時、窓口の人が「いいんですか」といったんです。「本当にいいんですか、日本人じゃないと名前でわかりますよ」って。「何が悪いんですか」と言い返しましたけど、一生忘れない言葉です。
出典:親に鍛えられた強い自立心 蓮舫さん(むかし少年・もと少女)
−1995年−
1995年(平成7年)から1997年(平成9年)にかけて北京大学漢語中心に留学。
−1997年−
・自分の国籍は台湾なんです (CREA1997年2月号)
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1997年に29歳時の『CREA』の取材記事で、「日本のことしか知らないし、日本語しか話せない。それがコンプレックスになっていました。だから自分の国籍は台湾なんですが、父のいた大陸というものを一度、この目で見てみたい、言葉を覚えたいと考えていました」と発言していたことがそれぞれ発覚し、17歳で台湾籍を放棄したという認識と食い違う資料が出てきている。
−1999年−
・自分の中で”これだ”と言えるものは、中国人であるというアイデンティティー (グラツィア1999年8月号)
−2000年−
・私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティーは『台湾人』だ (週刊ポスト2000年10月27日号)
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−2004年−
•2004年(平成16年)3月、TBSラジオBATTLE TALK RADIO アクセスを突然降板。降板の挨拶なしの翌週から後任担当者への突然の交代に当時さまざまな憶測を呼んだ。同年に政治家へ転身したため、その準備活動期間を得るための降板だったとされる。
2004年7月、手塚仁雄の誘いで民主党から第20回参議院議員通常選挙に出馬(東京都選挙区:定数8・改選4)。比例区新人の吉田公一との連動で、小川敏夫と共に当選した。
同年2004年8月、民主太平洋大会出席のため台湾を訪問し総統の陳水扁と会見した。この中で、台湾の世界保健機関加盟や台湾からの観光客に対するビザ免除等を求める陳を支持した。
−2010年−
・台湾籍は残しておきたかった (婦人公論2010年4月22日)
85年、18歳のとき、蓮舫は国籍法に基づいて帰化申請をした。国籍の異なる両親から日本国内で誕生した子どもは、両国の国籍を持つが、22歳までにどちらかを選んで、二重国籍を解消しなければならない義務があった。
「私は台湾で生まれ育ったわけではありません。台湾語も話せませんでしたが、父とつながっているパイプは台湾国籍だと思っていたから、台湾籍は残しておきたかったのです」
ところが哲信(筆者注:蓮舫氏の父)は、台湾籍を望まなかったばかりか、日本籍になるメリットを話して聞かせた。選挙権が持てる、年金や医療など社会保障の恩恵を受けることができる、などなど。
「18歳では、選挙も年金もなんだか遠い話に思えましたが、なぜか腑に落ち、日本国籍を選びました」
あの時、日本を選ばなければ、被選挙権は得られず。議員・蓮舫は存在しない。
出典:婦人公論 2010年4月22日号 平和を象徴する蓮の字を付けられて
・2010年6月8日に発足した菅内閣において、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に就任。その2日後に内閣府にて行われた、就任後初の省庁会見で、会見前の慣例である国旗への一礼を省略した。
•2010年6月11日、民主党の渡部恒三元衆院副議長はTBSの番組収録で、蓮舫について「国民の人気を取るのにはいい。テレビ用大臣だ」などと述べ、あわてて「内閣の華」と言い直した。
・ずっと中華民国国籍(台湾国籍)を維持してきた(中華系航空会社の機内誌2010年8月)
・華僑の一員として、日中両国の友好と協力の推進に力を尽くす (中国共産党機関紙2010年10月)
・ファッション雑誌『VOGUE NIPPON』2010年11月号P156〜P161に特集として、国会議事堂の中央階段等で、アルマーニ等、高級ブランド服を着たポーズをとっている蓮舫の写真を掲載した、と産経新聞に報道された。
−2011年−
•2011年、国会会期中に北京でおこなわれた中国日報社と日本の言論NPOが共催する「第7回北京―東京フォーラム」に参加し、「日本は歴史上において中国を侵略した歴史がある。これは非常に痛ましい事実。しかし一部の日本人はこれを認めていない。日本の内閣メンバーはたまに中国の人たちを傷つける発言をしている。学校にしても家庭にしても、日本の若者への歴史に関する教育が足りないと思う。日中戦争のころの歴史に関して、多くの学校は自習という形をとっている」と主張していたことが伝えられている。
−2016年−
・1985年台湾籍から帰化(選挙公報とHPに記載 現在削除)
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・帰化じゃなくて国籍取得です (産経新聞2016年9月2日)
・(台湾籍はないということでいいのか) すいません、質問の意味が分かりません (産経新聞2016年9月2日)
・生まれた時から日本人です。(ウェークアップ!!ぷらす 2016年9月3日)
・18歳で日本国籍を選びました (ウェークアップ!!ぷらす 2016年9月3日)
•蓮舫代表代行「18歳で日本人を選んだ」二重国籍疑惑を否定。
民進党の蓮舫代表代行は3日午前の読売テレビ番組で、司会者から台湾と日本との「二重国籍」を疑う指摘があることを問われ、「台湾籍を抜いている」と述べ否定した。
蓮舫氏は「私は生まれたときから日本人だ」と説明。「高校3年で、18歳で日本人を選んだ」と述べた。また、「今、そういううわさが流布されるのは正直悲しい」とも語った。
・台湾の除籍届は父と一緒に提出しました。(記者会見2016年9月6日)
・17歳で台湾の除籍届を出しました。(産経新聞2016年9月6日)
・法律的には昭和60年から日本人 (産経新聞2016年9月7日)
・父は台湾国籍のままです (産経新聞などの取材2016年9月7日)
・日本の法律では、私が日本国籍しか持っていないことは明らかになっています(自身のFacebook2016年9月8日)
・日本の法律では、私が日本国籍しか持っていないことは明らかになっていますが、台湾法での問題について、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。(2016年9月8日「Facebook」より転載)
・私は日本人です。ハフィントンポスト投稿日: 2016年09月09日 19時24分 JST 更新: 2016年09月09日 19時24分 JST
・二重国籍疑惑はない。私は日本人だ (記者会見2016年9月11日)
・一つの中国論で言ったときに、二重国籍とメディアの方が使われるのは私自身びっくりしている (記者会見2016年9月11日)
•2016年9月13日、台北駐日経済文化代表処が蓮舫氏の中華民国国籍を確認
•蓮舫氏「台湾籍残っていた」とおわび 民進代表選は継続
朝日新聞 2016年9月13日11時17分
・台湾籍が残っていた (記者会見2016年9月13日)
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民進党代表選に立候補している蓮舫代表代行(48)は13日午前、国会内で記者会見し、「私の台湾籍が残っていた」と明らかにした。これまで日本国籍を取得した17歳の時に台湾籍の放棄を届け出たと説明していたが、「記憶の不正確さで混乱を招いた。発言が一貫性を欠いていた。おわび申し上げる」と述べた。
•【蓮舫「二重国籍」】父親の“祖国”から「冷酷すぎる女」と非難された蓮舫氏
産経新聞 2016年9月13日 18時4分
・すべてこの問題は終わり (記者会見2016年9月13日)
•蓮舫氏「台湾国籍が残っていた」 籍抜く手続き終われば「すべてこの問題は終わり」J-CASTニュース 2016/9/13 18:05
・努力はしてきた部分も含めて、違法ではない (民進党新代表記者会見2016年9月15日)
記者13 日本テレビのハラです。すいません。法務省が国籍問題についてですけれども、一般論としながらも、「日本国籍取得後も台湾籍を残していた場合は、二重国籍状態が生じて、国籍法違反にあたる可能性がある」という見解を示しました。
これについてどうお考えになるかということが1点と、これまでにこの問題について十分にご説明をされたとお考えかどうかを、お願いいたします。
蓮舫 私自身は、籍を放棄したとずっと認識していました。あわせて、今、放棄をする手続きに入っていますので、その努力はしてきた部分も含めて、違法ではないと考えています。
蓮舫氏「努力してきた部分も含めて、違法ではないと考えている」新代表選出後、改めて二重国籍問題を否定。
•2016年9月23日の記者会見で、午前中に台湾当局から台湾籍の離脱が完了した報告があったとして、子供の頃の台湾のパスポートの提出を終えているなど手続きの詳細を公表し、「発言に一貫性がなかった」ことにより迷惑をかけたこと等について謝罪した。

•薬物中毒者との不倫問題
蓮舫がダイナシティ元社長と密会していたことがFLASH2011年10月11日号にスクープされた。
ダイナシティはかつて一世を風靡したが2009年頃に倒産した不動産会社で、この元社長は覚醒剤取締法違反と脱税で2005年に逮捕されていた男である。パパラッチされたのは2010年8月のねぶた祭りの最中で、執行猶予期間中の元社長と酒を飲んでいたというもの。
この問題は即座に国会で西田昌司議員らに追及され、蓮舫は不倫は認めなかったものの元社長との交際があったことを認めた。
この事態を重く見た野田総理の判断により、2012年1月13日の内閣改造に伴い行政刷新担当大臣の職を解かれる事実上の更迭処分を受けた。

2012年1月13日の野田第1次改造内閣発足により大臣を退任したことについて、「中国網日本語版(チャイナネット)」は「不倫疑惑で辞任」とし、「2011年11月、蓮舫氏は週刊誌に不動産会社社長との不倫疑惑を報道された。しかもその不倫相手は不法薬物使用で逮捕されている。このことを野党議員から国会内で追求され、蓮舫氏はこの社長との交際があったことを認めたが、不倫ではなかったと述べている」と報じている。


•2004年に日本政界入りしてからは蓮舫が日本国籍保有者であることは明白だったが、蓮舫の元の国籍である台湾(中華民国)籍を放棄した単独日本国籍者であるか、台湾籍も保有している二重国籍者であるかは明確ではなく、2016年に民進党代表選挙に立候補するに際して「二重国籍問題」としてクローズアップされた。

蓮舫は9月3日放送の読売テレビの番組では「台湾籍を抜いている」、「18歳で日本人を選んだ」と発言
更に9月6日の記者会見では追加して「31年前、17歳で未成年だったので、父と東京で台湾籍の放棄手続きをした。ただ、私は(父と担当官とがやりとりに使った)台湾語が分からなかった。私は台湾籍放棄の手続きをしたと『父を信じて』今に至る」と述べた。そして、念のための手続きとして台湾籍を放棄する書類を台北駐日経済文化代表処に改めて提出した。
9日に配信されたインタビューでは、1985年父系血統主義から父母両系血統主義への改正国籍法施行(1月1日)を受け、同年1月21日、「中国籍(台湾籍)」を離脱し日本国籍を取得した、と述べている。
13日、蓮舫は記者会見を開き、自らの台湾籍が残っていたことを発表、謝罪した。民進党代表選の党員・サポータ投票がすでに終了した後だったため、対立陣営の松原仁が「選挙を延期するべきだ」と訴えるなど、物議をかもした。
2016年9月15日の民進党代表選により、二重国籍であることを地方票の投票後に公表するという詐欺じみた手法で選出され民進党代表に就任した。

•国家公務員であれば、二重国籍が不可であるのは常識である。外務公務員法第7条で「国籍を有しない者又は外国の国籍を有する者は、外務公務員となることができない」と規定されている。

•中華人民共和国の国籍法では「外国籍を取得した者は中国籍を自動的に失う」と定めており、 日本政府の見解では日本は台湾と国交がないため、台湾籍の人には中国の法律が適用される見解に基づけば、二重国籍の問題は生じないという見方が出ていた。しかし、後に日本の法務省は「台湾の出身者に中国の法律を適用していない」とする見解を発表し、前述の見解を否定した。2006年6月14日の衆議院法務委員会で、杉浦正健法務大臣(当時)は「国際私法上、台湾籍の保有者には台湾の法律が適用されること」と答弁している。ちなみに、日本の国籍法では、20歳未満で日本国籍と外国籍の両方を有している場合、22歳までにどちらか選ばなければならず、日本国籍を選択した場合は外国籍の離脱の「努力義務」が生じる。また、公職選挙法では、被選挙権に日本国籍と外国籍の両方を有している者を除外する規定はない。

•二重国籍は違法(二十歳になった時点で二重国籍だった場合、二年以内に国籍を選択しないと日本国籍を失う)なのだが、国籍法は“外国籍の離脱に努めなければならない”と努力規定を定めているだけ。
•中華人民共和国から日本に帰化した李小牧は、自らの国籍変更の経験を元に「国籍変更という人生の一大事を覚えていない」のは「馬鹿げた話」だと批判した。また、蓮舫が台湾籍の確認に時間がかかった事について「台湾の官報はネットで公開されているため、検索すれば10分で答えはわかる」として、蓮舫の説明は嘘だとの判断を語った。


謝哲信が本当に蓮舫の父親なのかという疑惑
井上太郎 @kaminoishi
レンホウの祖母は中共と台湾の二重スパイであり日本の情報も流していたといわれます。レンホウ自身は留学もあり中共、そして高野通じ北朝鮮とパイプ持つ反日です。謝哲信が父親で母は日本人で斉藤レンホウでした。母親は新宿5丁目で慕麗路というスナック経営。中共・在日・民主・創価のたまり場。
2016年6月17日 14:17

実際、二重スパイだったかははっきり分かっていませんが、もう1つの疑惑が父親謝哲信さんが本当に蓮舫さんの父親かという点です。
蓮舫さんの父親に関しては、Wikipediaでも父−謝哲信(−1994年)となっております。
生年月日が不明ですが、40歳未満で亡くなったようです。
ということで、仮に39歳で亡くなったと仮説を立てましょう。
すると、生まれたのは、1994-39はというと、1955となりますよね。
つまり1955年に生まれたことになります。
で、蓮舫さんが生まれたのは、1967年です。これは疑いようのない事実。
公式なサイトでも、1967年に生まれたとはっきり記載されています。
勘のいいあなたであれば、ピンと来たかもしれませんが、父親謝哲信さんは、1955年と仮説立てましたよね。で、蓮舫さんは1967年生まれです。
ということは、1967-1955は12ですので、謝哲信さんが12歳のときに蓮舫さんが生まれたということになります。
そんなことってあり得ると思いますか?
父親が40歳未満で亡くなったという情報が誤っているかもしれませんが、非常に疑問が残ります。
蓮舫さんの二重国籍が話題になりましたが、私としては、蓮舫さんの出生にも謎があるような気がします。
私は、蓮舫さんの国籍が台湾だろうが、日本だろうが関係ないと思っています。
国籍が重要でなくてアイデンティティがさらに重要と考えているからです。
それは私の持論ですが、それより、蓮舫さんの父親が本当に謝哲信さんなのか?
そうなると、祖母も本当に陳杏村さんなのか?という疑問も生じてきませんか?
こんなウワサまであります。
私は、決して蓮舫さんを批判しようとしているわけではありません。
民進党の代表として、これからますます活躍してもらいたいと思っています。
ただ、個人的に疑問に思ったことを述べさせていただいただけです。
国籍だけでなく、出生に関しても、はっきりさせてもらいたいです。

蓮舫三重国籍疑惑と謎の家系図
2016/09/15 09:45
蓮舫の祖父の情報が無くて困ってましたが、下記、記述見つけました。
これが正しい情報かはわかりませんが、一応、参考にします。
https://plus.google.com/104149497818195406283/posts/Sv8Y1qjCEaQ
で、その情報を元に家系図を作るとこうなります。
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なんだろ。
藤井一良と一緒で、蓮舫の父親の戸籍が、蓮舫祖父の死後に作られた戸籍なんだよね。
しかも、蓮舫は父謝哲信12歳の時の子供説。
前から思ってたけど、中国工作員って、戸籍が杜撰だよね。
※蓮舫の戸籍を取り寄せたわけではないので、100%そうだとは言えません。が、疑惑は募ります。ハイ。
祖母の陳杏村は戦闘機二機を日本軍にプレゼントしたスパイ罪で裁判やってペナルティ無しで無罪。
それって、国民党の青幇がよく使う手口だけど、青幇の指示のもとで諜報活動した人は裁判やって無罪判決出してこれ以上罪を問われないようにする手口。ようは本物スパイ。
そもそもタバコ屋のおばちゃんが戦闘機買えるわけないし、じゃ、その戦闘機誰にもらったの?ってなると、上海疎開地を牛耳っていた青幇=後の台湾国民党である可能性が高い。
それと祖母の陳杏村の系列の陳唐山って、国民党ブラックリスト載りで一時期台湾に帰れなかったまともな人である一方、蓮舫は国民党馬英九からサポートを得てる。
で、馬英九はというと台湾人からは「売国奴」と呼ばれている中国共産党の工作員だ。
やっぱり、蓮舫って藤井一良と同じく、台湾国籍じゃなくて、中国国籍隠し持ってるんじゃないかなって思う。

•台湾は多重国籍を認めているので、実際には台湾籍以外の国籍があるという方向からも議論が必要ではないだろうか?
•「私の子どもたちは、クォーターになります。だから台湾を忘れないでという気持ちを込めて、中国の名を付けた。長女には、祖母が望んだ“蘭”の字を使った翠蘭(すいらん)、長男は琳(りん)です。名前は自分のルーツを知ることができる大事なもの。将来、世界へ旅立つときに、華僑、華人、仲間がたくさんいることを感じてほしかったのです」
出典:婦人公論 2010年4月22日号 平和を象徴する蓮の字を付けられて
•(台湾の緑色のパスポートから日本の)赤いパスポートになるのがいやだった。
海外華僑の旅券は、台湾地区で中華民国戸籍に登録されている公民の旅券とは異なり、もっぱら各国の中華民国大使館、領事館、台北経済文化代表処などの中華民国在外機構のみが発給し、台湾地区にて発給されることはない。海外華僑の旅券には、華僑であることを示す特別な印が付される。
•中華民国旅券の有効期限は通常は十年間であるが、十四歳以下の者は五年間であり、兵役未就役の男性は三年間とされている。
•日本国籍を取得してから31年もたって台湾国籍の喪失を申請し、「一つの中国」と発言したことに台湾国民は激怒。
•蓮舫の一連の発言は中共の立場である「1つの中国」論に立ったものであり、これにより台湾世論も激怒。台湾民進党の議員が「太狠心的女人」(訳:とても残忍な女)と非難する発言が台湾四大紙の一つ聯合報のトップニュースとして報じられるなど、蓮舫が日本と台湾の二つの祖国ではなく、中国寄りの政治家であることを改めて浮き彫りにした。


•台湾当局に国籍離脱を申請し国籍離脱証明書を取得。
都内の区役所に国籍喪失届を提出しようとするが、受理を拒否される。
行政指導に従い、区役所に国籍選択宣言(&台湾籍離脱宣言)を提出。国籍法上の違法状態を解消。
•一般論として,台湾当局発行の国籍喪失許可証が添付された外国国籍喪失届については,戸籍法第106条の外国国籍喪失届としては受理していません。
•蓮舫氏は国籍選択をしたか
蓮舫氏は、日本国籍と外国籍の二重国籍ではあった、ということになる。ただし、その「外国籍」とは、「どの国の籍か」ということになると、日本政府は判断をしない、ということ。
国籍選択届の用紙には、「現に有する外国の国籍」という欄がある。それは申請者側が書けばよいのだ。蓮舫氏が「中国」と書いたか「中華民国」と書いたかは、不明である。(中国と書くように行政指導はあったのかもしれない)
•金美齢氏が帰化手続きをする時には、台湾当局の離脱証明を受理しているようだがそれとは矛盾するのではないか。
それぞれ別の取り扱い、ということのようだ。帰化の場合は帰化の要件の一つが外国籍の離脱である。その書類としては認めているようだ。
一方、国籍喪失届の際は、台湾の書類の添付を認めていない(ので受理しなかった)。そういう矛盾を解決するために、日本国籍選択&外国籍放棄宣言という手続きがあるともいえる。

•産経の報道では「日本で複数の国籍を持つ人のうち国籍選択義務が生じる22歳以上の人は、約17万人とされる。」とのことだ。
日本の政治・公務に携わる者はその出自を明らかにする義務が必要ではないだろうか。


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